旬のデザイナーを毎月1人紹介するJDNの人気コーナー「注目のデザイナー」が、2024年5月で300回を迎えました。本コーナーを長きにわたり支えてくれたのは、デザインディレクターの桐山登士樹さんです。株式会社TRUNKの創業者であり、富山県総合デザインセンターの所長や、富山県美術館副館長を務めています。
本コーナーは300回の節目に、25年間キュレーターを務めてくださった桐山さんから新たなキュレーターへとバトンタッチすることとなりました。今回は300回を記念し、桐山さんとJDNの創設メンバーの山崎泰に話をうかがい、本コーナーを振り返るとともに、デザイン業界の25年の変化やこれからのデザイナーに期待することなどを語っていただきました。
ものづくりの転換期に生まれたデジタルメディア
――お二人は1997年のJDNの立ち上げに携わられていますが、どのような経緯で出会ったのですか?
山崎泰(以下、山崎):ちょうどJDNがはじまる頃、桐山さんは横浜のポートサイド地区の再開発に携わっていらっしゃいましたよね。当時はその一角に桐山さんのオフィスがあったのですが、JDNを立ち上げるにあたって、媒体の紹介を兼ねて挨拶にうかがったのが最初です。JDNはもともと空間づくりを手がける株式会社丹青社の一事業でしたので、当時の丹青社の取締役と一緒におうかがいしたのを覚えています。
山崎:桐山さんは多くの企画展をプロデュースするなど幅広く活躍されていたので、その後は展覧会に足を運んで記事にさせていただいたり、取材先をご紹介いただいたり、「注目のデザイナー」に限らずさまざまなデザイン情報を提供してくださいました。
桐山登士樹さん(以下、桐山):私は私で、デザイン業界に対する問題意識がとても強かったんです。もともとメディアにいた人間だったので、デザインがごく一部の関係者だけでなく、もっと一般にひらかれた世界にするにはどうすればいいか、企業と幅広くネットワークがつながる仕組みができないかと試行錯誤していました。そんなときに丹青社さんがインターネットでメディア事業をはじめるということで、自分の中では違和感なく受け止めることができました。
桐山:JDNは、ものづくりや世界の産業界がデジタルに移行しはじめた、インターネット黎明期に生まれた画期的なメディアです。当時はまだ紙が主流だったので、デジタルに着眼したメディアは少なかったんですよね。それまで、世界のデザイナーのポートフォリオを集めて、550人のデータバンクとして整備し運用してきた大変さがあったので、私にとってデジタル化社会はウェルカムで、こういうメディアを通じて多くの人にリアルタイムで情報発信できるのは、とても魅力的だと思いました。
半歩先をゆく目線で若手デザイナーを紹介
――そのような流れの中で、1999年に「注目のデザイナー」がスタートしたのですね。
山崎:桐山さんのコーナーをつくる前に、川上元美さんや内田繁さん、黒川雅之さんほか日本の巨匠デザイナーたちを紹介していたコーナーがあったんです。だから桐山さんのコーナーでは、もう少し次世代の方々を桐山さんのネットワークでピックアップしていただこうという意図がありました。
桐山:そうですね。「注目のデザイナー」はほかのメディアの半歩先を心がけていたので、基本的には50歳以下で、メディア露出がまだ少ない方を紹介するというルールを自分の中でつくりました。深澤直人さんや柴田文江さん、nendoの佐藤オオキさんはもちろんですが、まだ無名だったデザイナーをいち早く取り上げていたので、「どこで知ったんですか?」とよく聞かれました。
――25年間半歩先を見据えながら続けてこられたのは本当にすごいことだと思います。桐山さんにとって「注目のデザイナー」は、反響も含めてどんなコーナーでしたか?
桐山:コーナーがはじまった当時はホームページなんてみんな持っていなかったので、紹介するデザイナーたちが「JDNを見てください」と、JDNが彼らのポートフォリオ代わりになっていました。そういうわけでずいぶん感謝された記憶があります。
山崎:こちらも若手デザイナーの方々の活躍を教えていただくと同時に、デザイナーのみなさんの口を通して媒体の知名度を広めていただきました。
桐山:ここで紹介したデザイナーが、のちに大きな仕事に起用されたり、大手ブランドのショールームのデザインを依頼されたりと、産業界や教育の現場などで多岐にわたって活躍しています。「『注目のデザイナー』に掲載されるのが目標でした」と言ってくれる若手もいて、デザイナー自身にスポットが当たるコーナーになったのはとても嬉しいです。正直、自分でもそこまでは想像していませんでした。
イタリアのデザイン界は巨匠や若手といったヒエラルキーがなく、表向きにはかなりオープンなんです。そういう空気感にすごく憧れて、とにかくそこを目指したいとミーハーに突っ走っていたんですよね(笑)。
桐山:振り返って一つ心残りがあるとすれば、地域の中に埋もれている才能をもっと発掘したかったという点です。それは絶えず思っていました。富山は身近だから顔が見えるのですが、ほかの県になると途端にデザイナーとの接点が少なくなってしまうんですね。何も首都圏で活動する人たちだけに才能があるわけではないので、地方の才能にもっとスポットを当てて、引っ張り上げることができればよかったなと。
変化に対応し、新たな可能性を見出すことの重要性
――25年の連載の中で、デザイン業界はもちろんデザイナーの役割も変化してきたと思いますが、特に変わったと感じる部分はありますか?
桐山:かつてはSONYやTOSHIBA、HITACHIといった日本のブランドが勢いにのった時代が長くありました。当時インハウスのもつポテンシャルはとても高かったし、インハウスから独立するデザイナーはそれなりの実力がなければやっていけませんでした。まさに選ばれた人が独立するような時代だったので、いまとは違っていました。
でも、デジタル化に移行した2000年頃から日本の産業界はどんどん遅れをとり、いまでは企業ブランドが希薄になり、ある意味サプライヤー集団のようになってきています。そのような環境の変化の中で終身雇用制度といったかつての日本的価値が薄れ、若く才能あるデザイナーの意識改革は進んでいます。結果、若くして独立するサイクルが速くなってきている気がします。
桐山:また、それ自体は悪いことではないのに、生成AIの登場と3Dプリンターなどデジタル機器の精度の向上によってデザイナーが必要なくなるかもしれないという恐ろしい時代に突入しつつあります。デザインをとりまく状況は、この25年で想像もつかないほど大きく変わりました。そこにデザイナーたちの思考が追いつけているのか、何か新しいスキームをつくらなければと、私はとても危機感をもっています。
このような流れの中で今年のミラノサローネ・ミラノデザインウィークを見ていると、いわゆるリサーチプロジェクトが新たな可能性を見出しつつあると感じました。
山崎:私も今年、5年ぶりにミラノサローネに行きました。今回初出展していた島津製作所とwe+の「WONDER POWDER」のエキシビションはまさにリサーチの成果で、表現もとても魅力的でした。それを支えているのが培ってきた技術や研究の蓄積だ、というストーリーも自然に感じました。
桐山:いまデザインは、形の定義を超えて「モノ」から「感性」の領域に移行しています。日本のデザインはどうしても発想が「モノ」に寄りがちですが、そこから脱却して企業のもつ知見や実績をどう具体的な表現に落とし込むか、さらにそこから新たな産業を生み出していけるのか、その過渡期にちょうど差しかかっています。
「WONDER POWDER」のおもしろいところは、島津製作所のもつ知見を、自分たちなりに形を変えて表現したところだと思うんです。今回のエキシビションはあくまで第1章だと私は思っていて、2章、3章と続いていくことに期待したいですね。こういった例がもっと出てくるといいなと思います。
山崎:なるほど。マーケティングやブランディングにはすぐに直結しなくとも、序章として一石を投じたと考えるとインパクトはとても大きいですね。今後の可能性を確かに感じさせる展示でした。
桐山:昔の日本企業は、もっとたくさん挑戦や失敗ができました。「ダメだったら元に戻ればいい」くらいの覚悟はあったように思うのですが、いまはそうした余力がなく、窮屈なものづくりになってしまっている。それではイノベーションは生まれません。大抵は9割が失敗で、その中から一つ原石が見つかるかどうかです。もっと色々なことをトライアルした方がいいし、それができる環境にしていかなければいけません。
アメリカのGAFAMやベンチャー企業がいま世界をリードしていますが、日本特有の技術だってたくさんあるので、そこをもっと成長産業にしてデザイナーが飛躍できる土壌をつくっていくべきです。
――課題の多いデザイン業界ではあると思いますが、桐山さんご自身が今後やりたいことはどんなことでしょうか。
桐山:工芸にもう少しきちんと向き合いたいと考えています。現在富山で地元の企業や若手工芸家とのコラボレーションプロジェクトを進めているのですが、いまの工芸作家の方々は、例えばガラス作家が金属に挑戦するなど、専門以外のことにもとても柔軟です。昔はなかったおもしろい変化ですね。こうした中で新たな価値がつくれるかもしれないというのは、この2〜3年で十分実感しているので、もう一歩進めるための展開を考えているところです。
今年のミラノデザインウィークで、LOEWEが24名のクラフト作家とコラボレーションしたランプを発表しましたが、日本人作家が3割くらい入っていました。日本にもまだ可能性があると思えましたし、工芸はいま大きく変化するチャンスが来ているとも感じます。いろいろな変化を如実に感じたという意味でも、今年のミラノは本当に行ってよかったです。来年以降どうするか、自分の中でだいぶ軸が見えてきました。
状況を変えるのはデザインの力
――これからの若手デザイナーの方にどんな活躍を期待しますか?エールも込めてお願いします!
桐山:いま世界で蔓延しているのが、同質化現象です。100年続いたものづくりの雛形から脱却できず、標準化をつくりすぎるくらいつくり、人々が幸せになったかといえばゴミや環境の問題が山積みです。
この状況を止められるのは、デザイナーや建築家の力ではないかと考えています。言葉で伝わる領域には限界がありますが、ビジョンをつくって絵で示すスキルがあれば、誰にでも一発で伝わりますよね。そういう意味で私はこれからのデザイナーにめちゃくちゃ期待しているので、グランドデザインのようなプロジェクトレベルで、さまざまな可能性を提示していってほしいと思っています。
いまは変化の時代で、将来安泰なんていう時代はとっくに過ぎました。だからこそ若い人には、もっとチャレンジングな経験をしてほしいです。ものづくりって本当はロマンのあるもので、人々の暮らしを平和に豊かにするために考えていくもの。いま一度そこに立ち戻るべきだと思うので、そのためには志ある人たちが、もっと柔軟に活躍できる機会をつくっていけるといいですね。
山崎:そこは我々もぜひ応援したいですね。メディアを運営する立場として、情報提供を通じてこれからもお手伝いしていきたいと思っています。
文:開洋美 撮影:加藤雄太 取材・編集:石田織座(JDN)