1954年の設立以来、優れたデザイナーを多く輩出してきた「桑沢デザイン研究所(以下、桑沢)」。ドイツのデザイン学校「バウハウス」のカリキュラムを手本とした教育で、卒業後の実践に必要とされる思考力や想像力をしっかりと身につけることができる。デザインを通じて人脈を広げることができるのも、同校の強み。
では、同校の卒業生たちは、どのような学びと出会いを経てデザインに携わり、これからどこへ向かっていくのだろうか。今回は、スペースデザイン専攻の専任教員・大松俊紀さんと、同専攻の卒業生である佐藤慶一さん、大嶋励さんに話を聞いた。
さまざまなバックグラウンドをもつ人が集まる、桑沢の夜間部スペースデザイン専攻
大松俊紀さん(以下、大松):桑沢の専攻デザイン科(夜間部)スペースデザイン専攻は、3年制の昼間部の学びを2年間に凝縮して修得するコースです。佐藤さんと大嶋さんがいた当時の卒業制作は、家具や照明などの「エレメント」、内部空間をデザインする「インテリア」、都市環境を形づくる「住環境」の3分野から選択していたんですよね(現在は、商空間と住空間を組み合わせた作品制作で、エレメントの卒制はなくなっている)。
大松:佐藤さんはインテリアを選んでいたけれど、大嶋さんは「インテリアに進む人が多いのに建築なんだな」と、思ったのを覚えています。二人は1年違いで、ともに大学卒業後に桑沢に入学したんだよね。
佐藤慶一さん(以下、佐藤):はい。僕は東京造形大学 室内建築専攻を卒業した後、2009年に桑沢に入学しました。
佐藤:東京造形大学時代のゼミの担当教授が当時の桑沢の所長でもあった内田繁先生で、大学卒業後は大学院に進んで引き続き内田先生に教えていただくつもりだったんですが、そのタイミングで造形大を辞められることになってしまったんです。内田先生から「じゃあ、桑沢にすれば?」とアドバイスをいただいたこともあり、桑沢に入学しました。
大嶋励さん(以下、大嶋):僕は当時、一般の文系大学に通っていたんですが、就職活動のときに迷いが生じてしまったんです。親が工務店を経営しているというバックグラウンドはあったものの積極的になれず、かといって、あらためて4年制の大学で建築を学びたいというテンションでもなく……。
大嶋:「最短で、実務につながる学びがしたい」という気持ちが強かったのと、美大生の友達から桑沢をすすめられたことも手伝って、夜間のスペースデザイン専攻に進むことにしました。入学したのは、佐藤さんの1年後ですね。
――入学したときの桑沢の印象はどうでした?
大嶋:予想外に経験者が多くてびっくりしました。なんとなく「みんなゼロからスタート」とイメージしていたので、焦りつつも必然的に引っ張られて成長できた気がします。
佐藤:そうなんですね。僕の代は、40人くらいのクラスの中に建築関連の大学を卒業した人が、僕を含めて3人いました。何も知識がないのが普通だと思っていたので、申し訳ないような、恥ずかしいような……。でも、知識や経験があるからこそ中途半端なものはつくれないという気持ちが強かったと思います。
大松:たしかに当時は、3分の1くらいが経験者という年もありましたね。事務所で働いてからとか、大学で学んでからという人は結構いたんです。でも最近一番多いのは、文系大学出身の学生です。デザイン系のソフトを使ったことがないのは当たり前で、経験者はほとんどいないですね。
佐藤:年齢層が広いことにも驚きました。30歳を過ぎている人もいて、社会勉強という意味でもとても面白かったです。
自分だけの視点とは何か?社会人になっても思い出す貴重な体験
――桑沢の授業で、印象に残っているものはありますか?
大嶋:大松先生の住宅の授業が楽しくて印象に残っています。篠原一男が設計した別荘「土間の家」に関する設計課題で、課題中に軽井沢の敷地にも行きました。雑誌や作品集で見ても感激しますが、実際に別荘の中に入らせてもらったらまた違った感覚があり、建築に対する見方が変わったというか。
大松:あの授業は、当時「土間の家」の敷地内にもう一つ住宅を建設する仕事を個人的に受けていたことから実現したものです。結局その仕事は流れてしまったけれど、同じ条件を学生の課題にしたんです。
大嶋:同じく篠原一男が設計した、東京・渋谷区の「上原通りの住宅」にも行きましたよね。実際に生活している人がいて、形だけでなく、想いや空気感までも感じられたのが印象的でした。このときも、これまでとはまったく別の角度から建築を見ている感じがしました。いまでもふとしたときに思い出します。
佐藤:それは僕も覚えています。個人宅の建築の仕事をしても、完成後に中に足を踏み入れることはあまりないので、逆にリアリティのある授業でしたよね。何十年も使われている建築物をリアルに感じ取れたのは、いま思い返してもとても新鮮な体験だったと思います。
――ほかに、思い出深い授業はありますか?
佐藤:福島加津也先生の授業で、「渋谷に住むとしたら、どんな建物を建てる?」というような課題が印象に残っています。僕は、「密集しているビルとビルの隙間に蟻の巣みたいな階段をつくる」というアイデアを出しました。
大嶋:僕は、渋谷にある神社にものすごく細長い長方形の敷地があったので、そこに建てる建築物を考えました。起伏した敷地の形状が面白かったので、それをそのまま立ち上げて建築空間にするという発想で、課題を提出しました。
大松:夜間部は一人ひとりの経験や発想がバラエティに富んでいて面白いですよね。多くの人が思いつくような当たり前の発想をしてしまうとつまらない発想しかできない奴だと思われるので、みんな変な敷地を探してくるんですよ。
――なるほど、これまでのバックグラウンドを生かした発想が出てくるんですね。では、在学中に培われた、いまの仕事にもつながる視点はありますか?
大嶋:「土間の家」や「上原通りの住宅」を見たときも感じましたが、当時から完成した時がピークなのではなく、使いながらカスタムしてより良くしていける空間がいいという考え方でしょうか。いまでも「普遍的で変容的なものをつくる」ことは意識していますが、学生の頃から考えていたことなのかなと思っています。
佐藤:僕が学生当時から大切にしていたのは、「多くの人がいいと思っているものと、自分だけがいいと思っているものの中間を探す」ことです。どんなに小さな仕事でも、何か自分なりの視点を入れたいんですよね。もしかしたら自己満足なのかもしれないけれど、このような意識をもち続けてきたことで、自分自身が成長できたという手応えがあります。
就職につながった、ハードな課題と受け継がれるデザインに対する考え方
――では次に、就職先が決まるまでの経緯を聞かせてください。お二人は在学中に、インターンやアルバイトに行っていましたか?
大嶋:はい。インターンもアルバイトも、両方していましたね。アルバイトは桑沢の求人票で見つけて、ファッションブランドのインテリア部門で什器をつくっていました。ヤフオクで買ったブラウン管のテレビにペンキで色を塗ったのを覚えています(笑)。インターンも興味がある事務所に直接連絡して、いくつか参加していました。
佐藤:僕は模型をつくったり、図面の修正をしたりなどなど、いくつか掛け持ちをしていました。桑沢は立地がいいので、まわりにデザイン事務所がたくさんあるんですよね。先輩から「ここにバイトの空きが出たよ」と教えてもらうことも多く、いろいろな事務所に顔を出していました。現場ごとの独特のカラーがあったのが刺激的でした。
――就活に関するエピソードも教えてください。
佐藤:就活はポートフォリオをつくって面接していただき、第一希望の会社に就職できました。会社には違う大学出身の人もいましたが、残るのは桑沢出身のメンバーが多かったように思います。桑沢で教わったことが実践的だったことと、在学中のバイト経験から、デザイン会社の業務内容やどのような雰囲気かわかっていたというのも続けられた理由のひとつかなと思います。
大松:桑沢が有利なのは、実践的な授業ということもしかり、あのハードな課題をこなすことで忍耐力や体力がつくからだと思っています。仕事がハードな事務所に就職しても、いまの仕事より桑沢の課題のほうが大変だったという声もよく聞きます。
佐藤:あと、桑沢にはデザインに対して共通の考え方が脈々と受け継がれていて、例えば桑沢出身の後輩社員に指示をする際、少ない言葉でも理解してもらえる安心感がありました。冷静に考えると、すごいことですよね。
大嶋:それはありますね。僕の場合は、卒業制作のときに講評に来ていただいたゲスト講師の個人事務所に就職しました。その後、地元の群馬の設計事務所で働いたりと紆余曲折し、現在のSNARK Inc.の立ち上げから参加していまにいたります。
異業種に就く卒業生も多数。デザインを通して繋がる人脈の面白さ
佐藤:独立して驚いたのは、桑沢出身でデザイナーではないものの、クリエイティブな仕事をされている方が意外に多いことです。仕事でお付き合いのあるカメラマンやコンサルタントの方も、実は桑沢出身だったとか。そういった方々と、デザイナー同士の関わり方とは違った視点でクリエイティブの仕事を一緒にできるのは、とても素敵なことだなと感じています。
大松:そうですね。スペースデザイン専攻でも、ファッションやプロダクトの方面に行く卒業生も多いですし。考えてみたら、すぐ隣の教室で他のコースの授業をやっているわけで。学校のイベントなど、他分野の学生とつながりはできやすいよね。
大嶋:当時のクラスメイトも、仕事のジャンルや職種は本当に幅広いですね。30代半ばを超えて再会し、設計以外の仕事を手伝ってもらう機会も出てきました。面白いつながりだなと思います。
佐藤:わかります。それぞれが多様な経験をして、切磋琢磨してきて、一人ひとりの世界も広がっている。学生の頃とは違う関係性が心地いいです。
大嶋:あと、自分自身の仕事のジャンルも幅広くなっていると思います。法人化した当時は本当に小さな仕事場で、「ある仕事は全部やる!」「とにかく、いいものを設計して、多くの人に使ってもらいたい!」というマインドでしたが、徐々にスタッフが増え、自分もより自由に動けるようにもなった。いまは設計を軸としながらも、他業種の方とチームを組んで新しい暮らし方やカルチャーをつくりたいと考えています。
佐藤:僕は2022年に「FRACTAL」という名前で独立して、現在は「店舗やオフィス、飲食店、家具など、依頼を受けた仕事は全部やる!」という段階です。ただ、経験したことのないジャンルでも、「知らないことを面白がる」マインドはずっと持っていたいんですよね。つい最近だとデイサービス施設といった新しいジャンルの空間設計の依頼を受けました。どのような人が訪れ、どのような動きをするのか理解するところからはじめています。
大嶋:いろいろな方々とコラボレーションするのは刺激的で、その仲間として桑沢の卒業生は心強いですよね。設計がメインじゃなくても、何をつくってもいい。これまでやってきたことを生かせば、新しい何かができるんじゃないかという気がしていて。
佐藤:そうですね。新しい体験・知識とデザインの力を使って、クリエイティブなことをしていくのは面白いですよね。建築は特に、まだ行ったことのない場所に空間を頭の中で想い描き、自分の体よりも大きいものをつくるわけですから。それだけでワクワクします。
大松:学生にも、「桑沢で教えているデザインの領域は、すべて分け目なくつながっている」とよく話すんですよ。現に私は建築出身ですが、プロダクトやグラフィックもデザインします。何でもトータルに、線引きしないのも桑沢の考え方です。ジャンルレスでボーダーレス。桑沢で教えるようになって20年経ちますが、私もとても影響を受けています。
大嶋:自分もスペースデザイン専攻を出て、いまは設計の仕事が軸ですが、今後はより違うジャンルの人たちと新しいものをつくっていくことが必須になると思うんですよね。僕の場合は、桑沢に通ったことでそれが自然と身についていました。これから入学する方も、ジャンルレスでデザインを楽しみたいという希望をもっていれば、とても楽しい学生生活になるはずです。
佐藤:デザインしてものをつくる楽しさにどっぷり浸かってほしいですね。あとは、桑沢では、「こういう理由があって、このデザインになっています」と、論理的に説明することをたたき込まれたんですよね。これはとても感謝しています。仕事でも、「これとこれを組み合わせたら、なんとなくかっこいい」ではなく、デザインの意図や理由を明確に説明できるのは、大きな強みだと思います。
大松:たしかに、デザインを理論的に説明しないと、桑沢では講評会でボロボロに言われますよね(笑)。でも、理論的なデザインの思考をもっていれば、建築にもインテリアにも、ほかのデザインにもどんなジャンルにもつながっていけるはず。スペースデザイン専攻も、「インテリアデザイナーや建築家になりたい」という人だけでなく、「デザインの本質を学びたい」という人にもぜひ入学してほしいですね。
文:佐藤理子(Playce) 撮影:加藤雄太 取材・編集:石田織座(JDN)
https://www.kds.ac.jp/curriculum/designsd/
■桑沢デザイン研究所 夜間部 Q&A
https://www.kds.ac.jp/yakan/